いくらやっても伸びなかった古典の成績
代表です。古典担当しています。
自分の担当科目を苦手だったって言うと不安がられるかもしれませんが、まぁ聴いて下さい。特に古典を苦手にしている高校生・受験生に読んで欲しいと思います。
高校時代、実は古典が苦手でした。模擬試験は疎か学校の試験でも学年平均より少し上程度を取るのがやっとでした。通っていた高校は有名進学校ではなかったので、どの程度のレベルかお察し下さい。
別に勉強していなかった訳ではありません。むしろ、今の受験生のように単語帳なり参考書なりを隈無く読んで頭にたたき込もうとしていました、電車内でも家や塾でも学校でも。
けれども、成績は伸びなかった。
どれくらいの成績だったかと言うと、河合塾の全統記述模試で古文・漢文(100点満点)で60点も取れれば御の字という感じでした。
今になって思えば成績が伸びなくて当然だなと思います。だって、楽しくないんですから。
単語でも文法事項でも丸暗記でやってたのですが、これって結局、記号を覚えるようなものでいくらやっても頭に入らなくて当たり前です。
流石に焦って色んな人に相談しましたが、なかなか納得できない。
そうこうしているうちに高校を卒業し、現役で入学出来ませんでした。
パラダイムシフト
結果的にもプロセスとしても失敗だったということもあり、今まで以上に色々考えました。それこそ『国文学』という専門誌を買ったりもしました。
けれども、ある日ちょっと考えたのです、「古典という科目で大学入試で求められているのは何か?」と。
まぁ、それがハッキリ分かったのは入試直前になってからなのですが、その手掛かりは案外簡単に見つかりました。
古文でも漢文でも昔の人が書いた文章を扱っているじゃないですか、じゃあその背景をある程度ハッキリ把握していれば何とかなるんじゃないかと思ったのです。
要するに日本史とか世界史、あるいは倫理なんかの情報を活用できるときはすれば良い、やっている内に文法事項とか何となく慣れで分かるようになるのではないかという事です。
パラダイムシフトです。
ピアノのお稽古とかで言うと、『バイエル』で基本を叩き込んで次第に応用・発展するってのが主流だと思いますが、これはいきなりまとまった楽曲を弾けるように練習して、そこから次第に色んな曲も弾けるようになるというパターンでしょうか。
部品からではなく全体からという事ですね。
効果は覿面でした。元々日本史とか世界史は好きでもあり、そこそこ得意でもあったので、それまで程にムキになってやれ文法だやれ単語だと気にせずにやっていたら、面白いように効果がありました。
それこそ全統記述模試でも駿台全国模試でも9割前後得点できるようになっていました。
落とし穴と修正~今に至る
確かにこのやり方で古典への苦手意識はなくなり、むしろ得意科目になったかなと少々自惚れていました。
思わぬ落とし穴があったのです。
調子に乗り過ぎて文法事項を過度に軽視し、本文への理解が上滑りになっていたのです。模試の成績もやや乱高下し始めました。塾の先生からも「少し上手く行ったからって調子に乗って、理解が上滑りになっているんじゃないか」と注意されました。
なかなか最初はそう思えなかったのですが、よくよく考えてみるとそうかなとも思い始めました。と言うか、色々痛い目に遭って漸く気付きました。
じゃあどうすれば良いか?
結論から言うと、文法事項を軽くおさらいしてもう一度よく考えたのです、「本文のテーマを理解しなければ話にならない。そのためには文法事項は必要だけれども、そこまで拘らなくても良い」と。文法事項は重要だけれども、飽くまで最後の命綱。
まぁ普通なら話はここで終わり、成績も回復して東大に進学してメデタシメデタシなのでしょうが、まだ続きがあります。
そもそもなぜ古典なんてこんな昔の文章を態々学ばなくてはならないのか?
これに関しては色々な考えがあって当たり前ですし、各大学の入試の出題傾向によって違いはあると思います。
ですが、少なくとも自分自身の経験から言うと、東大入試の場合、何だかんだ言って大学の性質が社会的指導者養成機関みたいな位置づけがある事から、人心のマネジメントをメインテーマにしている事が多いのではないかと考えています。
これをもう少し詳しく言っても良いのですが、それは企業秘密ということで(笑)。
でもまぁ、最近では「探求」というのが出来ましたが、熟々思い出すと、既に今からずっと前にその原型を自分はやっていたのだなとしみじみと思うと共にささやかながら誇らしく思いますね。
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