なぜくだらないのか?
twitter(現X)なんかでもよく「アクティブラーニングはくだらない」という趣旨のコメントをよく見ます。高校生の投稿でしょうか?
あるいは「アクティブラーニングは大変」という投稿も見ます。これは学校の先生方がその素材を集める大変さを嘆いたものでしょうか。
いずれにせよ、アクティブラーニングの評判は惨憺たるもののようです。
まぁ今までやっていないどころか、考えた事すらないことを文科省というお役所が「やりなさい」と殆ど根回しらしいこともせずにやらされるわけですから、戸惑うのは当たり前です。
文科省は、と言うより霞ヶ関の殆どの官庁が所管分野の現場を具に掌握している、理解しているなんてハッキリ言って幻想でしかありません。
しかし、こちら(役所に指導される側)に選択肢は殆どないことを考えると、やらなければならない。やりたくないのにやらねばならないというジレンマをどうやれば克服すれば良いのでしょうか?
例によって趣旨から考えよう
4~5年ほど前に教育業界のちょっとした集まりに顔を出したことがあり、その際にアクティブラーニングに関して話題になりました。
その中に旧帝大から中央官庁に進んで教育業界に転職した方がいらっしゃって、この方ならばご存じだろうと思って訊ねたのですが、返ってきた答えは「文科省の人間が北欧諸国に視察に行ったから」というものでした。
事実関係とすれば仰るとおりなのでしょうが、そんな話を聞いているのではありません。アクティブラーニングをやる趣旨が知りたいのです。ひょっとしたらこちらの質問の趣旨を知らない振りをしてわざとピント外れの答えをしたのかなと今でも思っていますが、こういうのを「悪しき官僚答弁」とでも言うのでしょうか?(そこまで優秀とは思いませんでしたが、こりゃ失敬(苦笑))
何らかの趣旨はある筈なのですが、文科省もちゃんと説明してくれません。こういう場合は自分で考えるしかありません。
今まで日本は労働力を大量に投下することで経済発展をして来ましたが、これからは少子化が深刻化します。少なくとも今の状況では10年20年はこの状態。となると今までのようには行きません。
とするならば、労働力に余裕がないわけですから、要領をかまさなければなりません。つまり、仕事を実行する前に予め会議で話し合って無駄な作業を省くプロセスが今まで以上に重要になるはずです。
これが考えられるアクティブラーニングの趣旨です。つまりは「会議で仕事を動かす」ことなのですが、そのためには議論の作法、要するに意見を言う際にどういう根拠付けをしなくてはならないかも教えなければならないはずです。これが最も重要で(実はレポートを書く際にも最も重要なのですが)、文科省も説明しないものだから、指導者もちゃんと指導できていない、少なくとも私共にはそう見えます。
では何をすれば良いか?
趣旨は分かったけれども、じゃあ何をすれば良いのか教えてくれよってご意見があると思います。
アクティブラーニングの趣旨を考えるならば、出来る限り自然発生的にやるのが良いと思います。少なくとも学校とかで指導者が介入する形でやるべきではないし、馴染むものでもありません。
となると、複数の人間で日常的に議論できるものが良いということになりますが、生徒に選んでもらうというのも良いでしょう。
私共が最良の手法だなと思うのは、やっぱり数学ですかね。
まず数学というのは教科書的な正攻法で解けなければ話になりません。次に大半の大学の入試において、制限時間があることからスピードが要求されます。正攻法という「型」が確立されて、「型破り」の段階になるわけですね。相手の開発した新しい「型」を感知することで「型破り」をはじめることも出来るーその意味で、様々な考え方を持っていると日常的に感じられ、相手の考えを理解出来る数学を取り上げるのが良いでしょう。ひとつのテーマを皆で共有すると言う意味でもアクティブラーニングに最も親和的だと思います。
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