見当違いも甚だしい!
のっけから怒っています。
なぜ怒っているかというと、あるネット広告を見たからです。曰わく、「東大生が無料で生徒個人にフィットした学習計画を立てます」とのこと。
そんなことをしても誰も得るものはありません。
指導者のギャラはゼロ(恐らく学習計画を作ることで信用を得て勧誘する狙いでしょうが)、何より生徒の自主性も育ちません。東大もブランドの安売りに付き合わされてある意味被害者です(恐らく時給も安く抑えられていることでしょう)。
正直、同業者としてよくこんなバカなサービスを考えたものだと呆れています。
なぜ勉強をしなければならないのかというのは極めて初歩的な問題ですが、それだけにきっちり考えねばならない問題の筈です。にもかかわらずそれが抜けています。
生徒と呼ばれる子供が勉強するのは、仕事でもプライベートでも自分の責任の下で自分で考え、実行し、妥当な結論を導くことが出来る大人になるためです。
それが分かっていればいくら集客のためだとしてもこんなバカな宣伝文句を書けないはずです。
学習計画の立て方
私共、デジタル・ジャングルでは生徒一人一人に自力で学習計画を立てることを推奨しています。それも勉強だからです。
勿論、初めから独力で出来るとは思っていません(だからこそ、予備校なり私共が存在するわけですから)。だから、初めのうちは私共が一人一人の生徒の立てた学習計画をチェックします。計画そのものが本人の弱点を補強するものか長所を伸ばすものかとかなど趣旨が妥当かどうか、本人にとって完遂が容易過ぎないか、逆に実現不能ではないか、進捗状況、目標設定、設定した目標に到達できているか、本番までの長期スパンで見てどういう風に位置付けられるか等々。
その際にやってはならないのは、「一日に何時間机に向かう」という考えで計画を立てることです。
ある程度出来る生徒なら机に向かうことは苦にはなりません。本人にとって大切なのは目標に到達すること、究極的には志望大に合格することです。
と言うことは、今のままでは目標に到達できないというのなら、どういう風に足りないところを補うかということを考えなくてはなりません。
質×量=努力≡成長度合いだとするなら、質と量の確保は必須です。
質とは、頭を使ってどれだけ深く考えることが出来るかということ
量とは、頭を使って考えることがどれだけ習慣化できているかということ
そのためにどんな参考書や問題集を選んで、ノートをどう活用するのかを考えるのです。その上で、何をどれだけやるかを考えるのです。
その際に絶対にやってはならないのは、単語帳を見るだけの日を作ることです。
単語帳をいくら覚えても得点に直結しないということが良くあります。
当たり前です、頭を使って考えてませんから。単語帳を穴が空くほど見ている暇があるのなら、英語でも古典でも自分にとって少しレベルの高い読解問題をやった方が余程マシです。インプットよりアウトプットをやれということです。
極端なことを言うと、単語帳という代物は間違えたくないという受験生の心理を悪用して制作された商品ではないかとも考えられます。
誰だって間違いたくはないのは当たり前ですが、人間はエントロピーの生き物、痛い目に遭わなければ成長出来ません。大谷選手だって痛い目に遭うのだから、怖がる必要はないのです。
それに、何十年も人間をやっていても、知っていることより知らないことのほうが圧倒的に多いけれども、それでも大を成している人がいるのはそれだけ頭を使えているからです。そういう人間になるために勉強しているということを忘れないで下さい。
タイムスパンの考え方などに関しては、ここをクリックして下さい。
1 thought on “学習計画の立て方”