佐藤ママは正しいか?
柄にもなくロマンチックなタイトルで恐縮しています(笑)。
受験と恋愛は両立できるのかというのは昔から議論されているテーマの一つです。
四人のお子さんを東大理Ⅲに入れた(とされる)佐藤さんのお母さんは「恋愛なんてもっての他」と断言されています。随分乱暴な話だなというのが率直な感想です。
受験と恋愛は両立出来る、かも?
結論として、「人によりけり」です。当たり前の結論ですが、なぜそのような結論に至るのか、私共なりの考えをまとめました。
まず当たり前の話ですが、恋愛自体は悪いことはではありません。コロナだ何だと世間が混乱していますが、世界を見渡してこれだけ人間が多いことを考えればお分かりだと思います(同性愛の議論は別異に必要ですが、ここでは割愛します)。大袈裟に言うと恋愛こそが人類繁栄の原動力です。
高校受験は14、5歳、大学受験は現役生なら17、8歳で迎えますが、多感な年頃です。その中で異質の他者と交流を持とうとすることは当然です。これを完全否定することはナンセンスでしょう。あるいは恋愛が活力になることもあるでしょう。
と考えれば、全面肯定ということになりそうです。
しかしながら、原則には例外がつきものです。ここでの例外は「のめり込む人」は恋愛を控えた方が良いということです。
考えてみれば当たり前の話です。本来のめり込むべきもの(受験勉強)があるのに、恋愛にのめりこんでしまっても成果は得られません。
勿論、お互いが受験生であり、高め合うこともあるじゃないかという反論もあるでしょう。けれども、そんな場合でもどちらかがのめり込む性格の持ち主であるならば、パートナーにとっても迷惑でしかありません。勉強の最中に別れ話を切り出されれば、ストレスは倍増するというものです。
恋愛禁止パターン
では「のめりこむ性格」かどうかの基準はどのようなものでしょうか?
基準は多岐にわたりますが、分かり易い目安としては得意科目と不得意科目の差がはっきりしていることです。
得意科目というのは、本人が好きだから勝手に勉強するし、勉強すればするほど成績も伸びます。となると益々好きになり、そればかりやってしまう、のめり込んでしまう傾向があります。
他方、不得意科目というのは、成績が良くないから苦手意識を持ち、敬遠しがちになるものです。敬遠すると益々勉強しなくなり、成績は悪化します。当たり前ですよね。
恋愛する、あるいは恋愛できるというのは、少なくとも恋愛に抵抗がなく、恋愛を得意だと思っているという前提があっての話です。「恋愛を得意科目」と思っているということです。
しかしながら、仮に人間の選好の数が限定されているとすれば、「恋愛を得意科目」と認識することで何らかの不得意科目が生じることになります。それが物理なのか数学なのか英語なのか小論文なのか、あるいは勉強と別のことなのかは分かりません。人それぞれ。けれども、人生はトレードオフの連続です。勉強以外の不得意科目が出来てしまうのならまだラッキーですが、そうでない場合はどうでしょうか?何が不得意科目になるかは本人にも分からないはずです。
以上から結論として、少なくとものめりこむ性格の受験生は恋愛を控えるべきではないかと思われます。